純真の心「気品」「知性」「奉仕」の精神を備えた、
純真なひとを育てたい。

戦後の日本は、めざましい経済成長を遂げる反面、高等教育機関の整備は立ち後れている状況でした。大学への進学者は稀であり、特に女子となると数は極めて限られていたのです。その状況を憂い、福岡の地で、女性のための高等教育機関を何とかしようと立ち上がった人物がいました。その人物の名前は福田昌子。
ヒスタミンの研究が認められ、史上最年少で医学博士の学位を取得した医師であり、また国会議員として自ら草案した「衛生検査技師法(現在臨床検査技師法)」を法案化させるなど、女性の地位向上と社会への進出のために情熱をそそいでいた人だったのです。

福田女史は、「気品」「知性」「奉仕」の精神を備えた女性こそが、 新しい日本の基盤になるという理念のもと、1956年(昭和31年)に 「純真女子高等学校」を開校「純真」という名に理想の女性像を描き、校名に名付けたのでした。あれから半世紀。彼女の想いは受け継がれ、 本校はカリキュラムや教育施設の充実、 そして「気品」「知性」「奉仕」の精神を育む少人数教育を実践することで、高い専門性と広く深い知識の修得、そして豊かな人間性を育み続けています。

福田女史が蒔いたタネは、あれから、いくつもの美しい花を咲かせ続けてきました。
そしてまた、新しく大きな花が、社会に向かって開こうとしているのです。

福田昌子 女史(1912〜1975)

福田昌子 女史(1912〜1975)

東京女子医学専門学校(現東京女子医科大学)卒業。

ヒスタミンの研究が認められ、26歳という史上最年少の若さで医学博士号を取得。

1947年(昭和22年)には、衆議院議員総選挙に当選し、政治家としての道を歩む。

衛生検査技師法の成立に貢献。1957年(昭和32年)に
純真女子短期大学(現純真短期大学)開学、学長に就任。
女性の高等教育の充実をめざした。